日本人にとって唯一無二ともいえる存在のサクラ。
サクラへの思いは数々の歌にも詠まれてきた。
<サクラ(桜)について>
日本人に古い時代から愛されてきたサクラ。
咲き誇る美しさだけでなく、散りゆく儚さも、日本人の心をとらえてきました。
当然花を愛でる文化は世界共通であるも、花が散ることさえ美しいと感じ、歌に詠んだり、文学にまで昇華させるのは、稀有な文化です。
この日本人が持つ感性は、古代から現在まで連綿と続いています。
サクラを詠った最初の歌は、『日本書紀』にあります。
花ぐはし 桜の愛で こと愛では
早くは愛でず 我が愛づる子等
この歌は、第19代允恭天皇が衣通姫(そとおりのいらつめ)に捧げた恋歌だと言われます。
8世紀後半に成立した『万葉集』にはサクラの歌は約43首が載っています。
一方、ウメは118首あり、サクラの倍以上の数です。
この頃は唐文化を強く受けていた時代で、花と言えばサクラよりもウメでした。
ウメとサクラが逆転するきっかけは、894年の遣唐使の廃止です。
人々は日本の文化に目を向けるようになり、905年に編纂された『古今和歌集』ではウメの歌は少なく、サクラの歌が多くなりました。
江戸時代、世の中が安定すると、植物の栽培、品種改良が活発に行われるようになりました。
庶民間でもサクラなど植物の愛好が広がりました。
国学者の本居宣長が詠んだ歌があります。
敷島の 大和心を 人とはば
朝日に匂ふ 山桜花
この歌に代表されるように、サクラは日本人の心の象徴でした。
参考文献:
『植物名の由来』 中村 浩 (著) 東京書籍
『桜の雑学事典』 井筒 清次 (著) 日本実業出版社