サクラが咲き出す春、日本人は外へと誘われ。
サクラは人々の正気を失わせる。
<お花見について>
古くから日本人に愛されてきた桜。
「花見」と言えば、多くの場合、花はサクラを指します。
桜の花見は、平安時代から宮中などで催されるようになり、多くの詩歌に詠まれました。
嵯峨天皇が神泉苑に行幸して、サクラの詩を詠じたのが花宴の始まりとされています。
豊臣秀吉は1594年に吉野山の花見を行いました。
参加者が5000人の大規模な花見でした。
1598年に行われた醍醐の花見は、吉野山の花見より少ない参加者ながらも、豊臣家の繁栄を示す盛大な催しでした。
権力者による華やかな花見は、一般にも影響を与えますが、庶民に親しまれる行事となるにはまだ先のことでした。
江戸初期の頃は湯島天神など梅の名所の方が多く、花見は上流階級の社交として行われいました。
それが変化してきたのは、上野に寛永寺が建てられ、第三代将軍徳川家光が吉野山から桜を移植させてからです。
次第に上野でにぎやかな花見が行われるようになりました。
さらに、第8代将軍徳川吉宗による桜の植樹をきっかけに、庶民一般にも花見の風習が広がっていきました。
隅田川堤、飛鳥山、御殿山、小金井堤などが代表的な場所です。
これらの場所は花見の場所として開放され、大勢の人でにぎわいました。
19世紀になると、桜の名所が30か所以上になりました。
『江戸名所花暦』で、各地の名所が紹介されています。
参考文献:
『花見と桜』 白幡 洋三郎 (著) PHP研究所
『桜の雑学事典』 井筒 清次 (著) 日本実業出版社
『江戸始図でわかった「江戸城」の真実』 千田 嘉博 (著), 森岡 知範 (著) 宝島社
『江戸の園芸・平成のガーデニング』 小笠原 亮 (著) 小学館