奈良時代の頃はサクラよりも愛されていたウメ。
当時は花見といえばウメの花だった。
<ウメ(梅)について>
奈良時代、ウメはサクラ以上に人気がありました。
『万葉集』ではサクラを詠んだ歌は約40首、ウメは約120首です。
当時「花見」と言えば、サクラではなく、ウメでした。
ウメは、遣隋使又は遣唐使によって中国から日本に持ち込まれたとされます。
日本人にとって羨望の国だった中国で、寒い中に咲くウメを尊んでいて、中国文化の影響を受けた日本の貴族たちも、ウメの花を愛でていました。
遣唐使の廃止により、日本独自の文化が発展し始めてからは、古くから自生していたサクラに注目が集まるようになりました。
古今和歌集では、サクラの歌がウメの歌の数より多くなり、ウメはサクラに逆転されてしまいました。
別名 | コウブンボク(好文木)、ハルツゲグサ(春告草)、コノハナ(木の花)、ムメ |
学名 | Prunus mume |
英名 | Japanese apricot |
分類 | バラ科サクラ属(アンズ科) |
開花時期 | 2月~3月 |
花言葉 | 「高潔」「忍耐」「忠義」 |
参考文献:
『徳川家の家紋はなぜ三つ葉葵なのか』 稲垣 栄洋 (著) 東洋経済新報社
『江戸の園芸』 青木 宏一郎 (著) 筑摩書房